日本の水問題-八ッ場ダムを例として 瀬戸昌之

講義: 日本の水問題 − 八ッ場ダムを例として
八ッ場ダム訴訟連絡会の報告書、「八ッ場ダム・思川開発・湯西川ダム裁判報告
〜6都県住民11年のたたかい・・・」から学ぶ、
講師: 瀬戸昌之先生

瀬戸先生の講義は、やさしい用語と簡単な計算で、この国の自然破壊に直結するダムなどの巨大事業のデタラメさ、矛盾、おかしいことを説明してくれる。掲題の訴えは、なぜ最高裁まで20連敗したのか?

『水問題』は、洪水を防止し、良質の用水を確保することであろう。そのためには雨水をすみやかに大地にしみこませ、地下水を涵養すること。これに尽きるであろうとの持論。それが真実であることを証明される。

ダムとは何か?自然を破壊し、住民の生活を壊し、膨大な費用を掛けても作る意義があるのだろうか。

ダムは、洪水を発生させないための調整の役割と、生活・農業・工業用水の安定供給を両立する大義名分の下で『多目的ダム』として作られる。治水と利水である。しかし、そもそもそれらは両立できるものなのか?本当なのだろうか?多摩川では小河内ダムがあるのに、1974年には狛江市で大きな決壊が起きた。

関東のダムの貯水能力は、総量で200億トン(小河内は約2億、八ッ場ダムは1億トン)もあるらしい。しかし関東地方全体の地下水の総量は、4,000億トン。つまりダムの貯水能力の20倍もある。反対から見ると、ダムのない河川はないが、ダムの貯水量は地下水の5%しかないということである。

都心の神田川の氾濫に備えて、環状七号線地下調節池という、巨大な地下のパルテノン神殿のような設備が出来たが、せいぜい40万トンの貯水量でしかない。関東地方の地下水の僅か一万分の1%、もしくは10PPM。人間の体重60キロと比較すると、60ミリグラムは一円玉(1g)の30分の一以下。つまり鼻くそどころか、耳垢程度なのである。大自然の貯水能力に比較すると、こんな耳垢程度の設備に1,500億円も投じ、一年の維持費だけで100億円掛かるらしい。都民一千万人が等しく、1万5千円を出資し、年間1千円を支払っている。では、40万トンの水量を、水深15cmの水田で貯水するとするならば、
2.6平方キロメートル程度の田んぼがあれば、同じことである。東京ドーム(4.7h)ならば55個分である。反収10俵、600キロとして、1hで6トン、ゆえに、2.6平方キロならば、1,560トンの米の収穫である。1キロ300円としても、約5億円の費用を代金としてお百姓に支払えばよい。それで環状七号線地下調節池と同等の40万トンの水が貯水が、二十分の一の維持費用にてできることになる。そして1,560トンの米が残る。都民1,000万人には丁度1合のお米が配給できる。大き目のおにぎり二個にはなるはずだ。環七の地下パルテノンに毎年、千円の支出する代わりに、同じ効果でおにぎり2個の米が配当として返ってくる。

八ツ場ダムは治水目的とのことだが、1947年のカスリーン台風以来、利根川は洪水を起こしていない。上流域は戦後直ぐのハゲ山から、植生と土壌は回復しているので当時とは保水力が全く異なっている。さらに国交省自体が、八ツ場ダムは洪水を軽減できないと認めているらしい。八ツ場ダムが出来たとしても、洪水ピーク水位は、利根川八斗島でも10cm、下流の江戸川では数cmの低減効果しかないらしい。
東京都の水道供給量(保有水源)は25年で一日あたり694万トン(年換算25億トン)過去の最大給水量の記録(465万トン)を十分に満たしている。さらに人口減少、工業用水需要も減少していて、上述のように洪水防止の意味もないとなれば、八ツ場ダム建設の意義ははるか以前に失われている。その差し止めのための疑いようのない訴えは、最高裁まで11年間で20連敗となり、『司法ダメなら政治で戦う』といわせるほどに、司法制度そのものをも失望させた。
国や都は巨大な公共事業のために、ダムを作ろうとする。しかし水資源は、水源地の涵養など国土を保全して、地下水を有効利用していけば、治水とともに十分に守っていけることが明らかである。莫大な建設費用や維持費をかけることなく、林業、農業も育つことで、広い意味での経済収支はプラスにもなろう。
ところが現実は無駄なダム建設よりも、もっと悲惨でバカらしい、取り返しのつかないことになってしまって、さらに進行している。都民の良質な水の供給源である多摩川水系の取水口の上流である谷戸沢と二ツ塚にゴミを埋め立てて、有害物質を多摩川に滲出させ、エコセメント工場なるもので多摩川流域に焼却灰を飛散させているからだ。
我々、『たまあじさいの会』はこの汚染の実態、それが本来上質とされたきた都民の水瓶の多摩川の水源を汚していること、すでに覆水盆に返らずではあるが、更に事態は悪化していることの事実を究明し、証明を試みる。我々が出来るのは小さな簡易な方法であるが、しかし継続することで、とてつもなく大きな、誤謬の問題の構造を暴くことが出来ると考える。

文責:古澤
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