「水と生活の身近な関係」 講師:東京農工大名誉教授 瀬戸昌之先生(日の出の森・支える会) 2018.11.23

日の出町と青梅市の境界の森を破壊して作られた谷戸沢(1984年から1998年まで)と二ツ塚最終処分場(1998年より開始、2006年からエコセメント工場が稼動)からの排水、周辺の地下水を長年測定して汚染を監視しているが、既に20年前に埋立てが完了していても谷戸沢処分場近くの電気伝導度は、他の水脈よりも依然として十倍もあり、(岩塩などの鉱床でもない限り)自然界にはあり得ない塩化物イオンも検出される。一旦汚染された地下水は、自然はなかなか回復しないことがこれだけでも判る。

さて、きれいな水と汚い水、美味しい水は何が違うのだろう?という問いから講義は始まった。きれいな水とは有機物、ミネラルをも含まない水である。純水、蒸留水がその例である。おいしい水は、緑豊かな森林からしぼり出された渓流水や地下水のように、有機物は含まないが、適度なミネラルを含む。つまり汚い水とは、有機物を含んでいるということになる。台所、風呂やトイレからの生活排水は、食物残渣や油脂などの有機物を含んでいる。この有機物はBOD(生物化学的酸素要求量)やCOD(化学的酸素消費量)という指標で測られる。BODは水中の酸素が、水中の微生物で有機物がどれだけ消費されるかをみることで、有機物の汚染の度合いを知ることができる。炭水化物やたんぱく質の有機物は微生物が水中にある酸素を取り込んで分解して、二酸化炭素として排出する。それを化学式で書くと、CH2O + O2 = H2O + CO2 となる。何とも単純、何とも簡単な化学式である。これで微生物は増殖して、ミジンコなどプランクトンのエサとなり、それを魚が食べるという食物連鎖が生じて、水はきれいに、澄んでくるわけなのだ。たんぱく質の窒素NH2も有酸素発酵で、硝酸NO3、亜硝酸NO2と分解されていく。硝酸、亜硝酸が人間の体内で高濃度に生じると血液中のヘモグロビンと結びつき、酸素の結合を阻害して、酸欠のチアノーゼを起こすこともあるらしい。(欧米の微生物学者が、微生物が炭水化物に働くことを『発酵』といい、たんぱく質に働くことを『腐敗』というとの定義をしていたが、馴れない肉食が続くと、腸内環境がおかしくなり、オナラが臭くなるのもそうなのかと、なるほど判ったような。この単純な化学式を見て合点がいった、といいますか。

この日の講義では『水』そのもの、本当に独特の物質であることについての不可思議についても触れられました。水はとても広い温度帯(零度から100度)で液体である。ゆえに生命活動が広い範囲で可能となる。水は4度において密度が高くなるので、液体のまま池や湖の底に沈む。(奥多摩湖の底も4度だろう)もし氷が水より重いとなると、湖や北極の底は凍ってしまって、二度と永久に溶け出すことがないかもしれない。他の特徴としてH2Oは+と―の両方に帯電する磁石の性質も持つ。だから電子レンジで電子を与えると、両極が周波数でめまぐるしく交代し、発熱することになる。さらに水は熱しにくく、冷めにくい、ゆえに温和な海洋性気候をもたらす。表面張力も強いから、10メートル以上もある大樹を育て、凍ると摩擦力が強いものの、圧力を掛けると一転瞬時に溶けて、水になるから、スケートやタイヤは滑るのである。氷(固体)は水(液体)を経ないでいきなり、「昇華」して、水蒸気(気体)に変わる。極寒の地域では一夜にして雪が消えることがある。気化(蒸発)熱がまた凄い。1gで539カロリー。猛暑でも空気が乾燥していれば、水浴びすると途端に寒くなることも有り得る。ということは、小池都知事が提唱する『打ち水効果』もあながち嘘ではあるまい。しかしアリゾナのように空気が乾燥していればという条件が必要になるが。湿度100%に近ければ、東京オリンピック時に、日本のオ・モ・テ・ナ・シと言って、浴衣を着て、マラソンのコースに打ち水しても、あんまり効果は見込めないと、少し科学すればよく判る。話をもとに戻して、『水』はこのようにとても不思議な、ありがたい性質ですね。そして、ありとあらゆる生物は、どんな珍しい微生物でさへも、生命体ならば水なしには存在しない、出来ないという厳然たる事実がああります。

『水』は不思議でありがたいことが科学的にもよく判った。そして治水の面でも、水と地下水の素晴らしいメカニズムを知れば、本当によく利用できれば、ありがたい存在である。自然環境の良いところの地下水は、ダムや河川の水とは比べようもなく、きれいでおいしいことは誰でも知っている。疑いもない事実。だって南アルプス(環境のよいところとして)の天然の水をうたい文句に、それをペットボトルに詰めて大企業が商売をしている。そして環境を悪くしている事実。そのおかしな矛盾。今や特に若い世代は、それに洗脳されてか、あるいは生き物としての本能(危険を察知する)からか、飲料水はコンビニでペットボトルで購入するのが常識となっている。これも地下水のありがたさを知ってか(知ったからには商売のために、目先の予算獲得のためには無視するしかない)、知らずに(知らなかったらバカというしかない)自然の恵みの水の壮大なありがたい循環・システムを無視して切り捨てて、巨額の費用を掛けて、無駄なダムをつくり(最近は地下にまで及んでいる!)、まさかのときの防災用に添えるための井戸を掘ることさへ、まともに検討もせず、巨額を出費してペット・ボトルで備蓄しようとすることと、全く同じ構図に見えて仕方がない。

今回の参加者からも学校や地域の現場の話しとして、せっかく地下水(二俣尾)や良質の水道水に恵まれている(羽村市)でも、子供は水道の蛇口に口を付けて直接水を飲むことができなくなっていること。町内会では防災の一環として大量のペット・ボトルの水を備蓄するから、町内会費が高くなって、年寄りが疑問の声を上げても、なかなか聞いてはもらえない、おかしな事態となっているとの発言が相次いだ。本当におかしなことですよね。自然のおいしい水、地下水のありがたいこと。自然の大きな恵みの水の循環を知れば知るほど、感謝するので、それを知らないがために、もったいない無駄遣いと、それによる環境破壊(ペットボトルだけ取り上げても)が横行しています。必要なことは、大切なことは誰でもが、身近な水についてもちょっとだけでも勉強して自分で考える。この日の講義だけでも、太平洋の海水が太陽に照らされて水蒸気となり、雲が湧き、日本列島に雨をもたらし、南アルプス山麓の森を育て、その伏流水が多摩川にも灌いで、お米も野菜も日本酒も育て、流域に良質で豊かな地下水をもたらしていることに想像が及びます。自分は文科系の人間だから関係ない!(それは数学が出来ないだけのことなのに)なんてことは思わないで、ちょっとだけでも『科学する』心を持ち続けることが、生きていくための喜び、希望ともなりますね。

文責 古澤

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