(2021年3月26日・27日)
田村市でお昼を頂いているときに、熱く語ってくれた、ご婦人の『今度は復興を図る予算で、大型のバイオマス焼却炉を作って、それでさらに住民に迷惑を掛けようとする。一体何なのだ』との一言。まさにその通りのことが行われている現場に立てました。あの、いびつなラグビーボールのような、アポロ月面着離船のような、へパフィルター塔が、青木さんが『もしかしたら、中身は空洞なのかも』と。いくら何でもご冗談を、と思ったものでしたが、話を聞いていくにつれ、まことしとやかに現実味を帯びてきます。それと六価クロムの残土が砂防ダムのように谷間に置かれてます。両側の山から流れ落ちる降雨で、害毒が溶け出して、田村市の市街を慈雨ならぬ汚染水が灌漑して、染みわたるのを狙ったような、絶好の場所にありました。
大熊町・双葉町にまたがる中間貯蔵施設の見学は圧巻でした。0.2マイクロシーベルトを越えると出るラディログの警告音が臨場感を高める中、巨大で広大な全くの『負の遺産』である日本を代表するジェネコンのJV(数社の共同事業)の、金に糸目をつけぬ 実例ををバスで巡りました。国家と言うのは造幣局の輪転機を回せばいくらでもお金が出来る権力だ、祭りごと、つまりはそれが文字通りの政治なのだということが実感できました。相見積もりだとか、競争入札なんてケチな、バカなこと言ってるんじゃないよ。
お祭りだから、町内会費=官費、親方日の丸だからジャンジャン、これでもかと、費わにゃソンソン、警告音が祭りのお囃子に聞こえます。
結局は1500万トン(東京ドームの容積11個分)の除染土壌が運び込まれることになっていて、すでに7~8割方埋まって来ているとのことでした。今後30年間の『中間』貯蔵ということですが、まあ、誰の眼にも永久でしょうね。確かに二年前には至る所にあった、除染土のフレコンは県内の仮貯蔵場所からは姿を消していました。この期に及んでは、他に方法は無いのだろうから、仕方のない施設だろうとは思いました。中間貯蔵施設は、除染残土を吸い込む16平方キロメートルのブラックホール。お国のお金も、為政者のプライドも、恥も責任も、日本の未来をも飲み込むブラックホールなのだと。せめて負の遺産の墓標として、戒めくらいにはしませんと。
伝承館。ここでもある種の違和感を覚えました。被害者が作ったにしては、淡々と客観的事実だけを伝える、後は来場者が考ええ、判断すればよいとの、一見ニュートラルな姿勢。罪を憎んで人を憎まず。それは立派なことかもしれないけどもし広島・長崎で、原爆の功罪を考えるなんてことがあり得るか。原爆は良くないけど、戦争の終結を早めた効果があった、なんての議論がそこであり得る訳がない。やはり原子力は、『明るい未来のエネルギー』ではなく人類の手に負えない、厄介な間違いだったことを訴え、伝え、受け継いでいく以外の何の目的が、ここにあるのでしょう。ドイツでは今年中に原発の廃炉が決定するという。ドイツはドイツ。ここは日本だとも仰いますが、ドイツは被爆国ではなく、重篤な原発事故も起こしてはいない。
しかしその国が廃絶を表明し、その実現に邁進している。他所は他所ではないですよね。大火事を出してしまった張本人がキチンとした反省もせずに、また火遊びをするなんてあり得ないことですよね。館内で説明された方は、原子力の次は『水素エネルギー』だと胸を張られる。そりゃ、水素は燃えますよ。次々に原発の頑丈な上屋を吹き飛ばすくらいの爆発力がありますよ。
でも水素を作り出すのに、どれくらいのエネルギーが必要とされますか?画期的な技術なんてありえない。物理学の理論が変わらない限り、技術の多少の改良の余地はあるとしても、算盤が合う、採算が取れるようになることは、決してあり得ない。
リニア新幹線も同じでしょう。技術的には可能としても現在の新幹線の乗車券の数倍程度の費用でコストが収まることは、決してあり得ない(と思います超音速のコンコルド旅客機はとうの昔にあきらめられました。諫早湾もそうではないか。アレは何のためだったろうと。偉い人たちは誰も責任を取りません。政策決定者が損害賠償を負うこともない。それどころか肥るだけですね。どうも未だに、一人を殺せば殺人罪だが、万人を殺せば英雄だ。大きい予算を作れるのは大物政治家の証拠。公共事業でも、箱モノでも、災害でも、原発でも、戦争でも、肥る奴らが、この国の体制となるのですね。デフレが続けば、仕事がなくなりゃ、また原発事故の一つや二つ、戦争の一つでも起こせばよい、なんて考えていらっしゃることはないのでしょうが、まあ、どんなに逆風が吹こうが、不祥事が起きようが、経済効果目的として、どうしてもオリンピックに拘るのは、まだ平和的利用だから、まだましなのかもと、久々の日付けをまたぐ楽しい飲酒の二日酔いがたたり、そんな白昼夢に、陥ったツアーでございました。
(文責 古澤)